三溪園通信
明治41年の庭園完成イベント
2023.03.06
“明治戊申(ぼしん)の春、三溪園成るを告ぐ”
これは原三溪が遺した記録「観梅会の記」の冒頭である。
三溪園の庭園は明治39(1906)年に一般に公開されたものの、この時点ではまだ造成途中にあった。
現・外苑の部分で三重塔以外の建造物移築がひととおり済み、2,000本余りの梅林の植栽が終了したのは公開から2年後の明治戊申、すなわち41年。この時を三溪はひとまずの庭園完成と位置付け、その記念イベントとして開催したのが観梅会であった。
同記録によれば、その内容は招いた知人らに詩歌や川柳を詠ませるといった風雅な趣向だったが、これとは別に会社の従業員やその家族たちを招待して慰労を兼ねた催しも行っている。
園内各所の建物ではそばやおでん、ビール、白酒などを原家の家族たちが中心となってふるまい、三溪自らも茶を点ててもてなしたという。そして土産には梅団子の入った高級な菓子器を持たせるといった、まさに至れり尽くせりの内容だった。
三溪園の造成は以降も三重塔の移築を経て内苑へと続けられ、全園が完成したのは大正11(1922)年。
2022年はちょうど100年目を迎えている。梅が見ごろの今、変わらぬ風情をあらためて愛でていただきたい。
(211210広報よこはまなか区版寄稿)