三溪園通信
失われた秋草の風景
2023.03.06
大きな瓦屋根がひときわ存在感を放つ旧燈明寺本堂は、昭和62(1987)年に三重塔と同じ燈明寺跡から移築された建物である。
三重塔が大正3(1914)年に原三溪によって移築されたものであるので、この二つの建物は実に70年以上の時を経て三溪園の地で再会したことになる。
それからさらに34年、本堂も今や園の主要な構成要素となっている重要文化財の建造物であるが、三溪の時代ここには皇大神宮の建物があった。
現在でも本堂の背後にはその石垣の一部が遺されている。
外苑の庭園は、三溪が故郷・岐阜のイメージを投影したともいわれており、丘の中腹に立つ皇大神宮の姿はさながら園を見守る鎮守様のような存在だったのかもしれない。
秋になるとこの高台からは一面に広がる秋草が楽しめた。横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)の明治41年9月の記事には、その様子が次のように描写されている。
「石段を昇り、祠前の高処より眼下一面の花野を眺むれば、蒸せる粟の如き女郎花の花続きて…中に浅紅の芙蓉…其の間に散点せる様…その上を風の渡る風情得も言はれぬ趣きなり。」
今、この風景がみられないのは惜しい。
(210810広報よこはまなか区版寄稿)