三溪園通信
造成時から注目された梅
2023.03.06
まもなく三溪園の梅は花の見ごろを迎える。
三溪園の開園は一般公開の明治39(1906)年としているが、実はこの後も庭園造成は進められ、全園の完成は大正11(1922)年まで待たなければならない。
造成当初、まず植えられた一つが梅である。
江戸時代から名所として知られた東京の蒲田、川崎の小向(御幸)、磯子の杉田から2,000本余の古木を集めて梅林が完成したのは明治41(1908)年。
前年2月の「横浜貿易新報」(神奈川新聞の前身)には仙女なる人物が寄せた記事が見える。
「著名の梅園を一邸に集めたるは…門戸を開きて万衆の来たり観るに任せんが為めなり」とあり、移植途中でも、すでに注目されていたことがうかがえる。
以来、多くの文人墨客を魅了し、なかでも園の創設者である原三溪が厚く支援した日本画家の下村観山は、その横たわる竜のような枝ぶりに想を得て、屏風絵の名作「弱法師(よろぼし、東京国立博物館所蔵、重要文化財)」を描いたことはよく知られている。
この梅は、その後老朽による枯死や戦時中の被害などで数は少なくなったが、今でも臥竜梅(がりょうばい)としてその姿をとどめている。
(210114なか区広報三溪園通信寄稿)
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