内苑施設
りんしゅんかく
臨春閣
Rinshunkaku
- 重要文化財
- 通常内部非公開
- 一部有料貸出施設
江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物。その後、大阪市此花区春日出新田に移されていたものを1906年(明治39年)に原三溪が譲り受け、11年をかけて念入りに配置を吟味し、1917年(大正6年)に移築が完了しました。 移築の際には、屋根の形と3棟からなる建物の配置が変更されましたが、内部は元の状態が残され、狩野派を中心とする障壁画と繊細・優美な数寄屋風書院造りの意匠を各所に見ることができます。 池に面して3つの棟を奥にずらしながら連結させた、この臨春閣の姿は内苑の景観の中心となるもので、三溪園が「東の桂離宮」と称される所以となっています。 ※障壁画は複製画で、原本は三溪記念館に収蔵し定期的に展示を行っています。
臨春閣のみどころ
檜皮葺屋根
檜皮葺屋根は立ち木のヒノキから剝がした樹皮を重ねて作り上げた屋根で、およそ30年毎に葺き替えをする必要があります。
障壁画
第一屋・瀟湘の間。障壁画は狩野常信筆「瀟湘八景図」(複製品)、欄間にはダイナミックな波をかたどった彫刻が収められています。
庭園の風景
琴棋書画の間から浪花の間越しに眺めた庭園の風景。亭榭を臨む景色は、さながら一幅の絵画のようです。
階段の入り口
第三屋・次の間から二階に上がる階段の入り口部分。仏教建築(禅宗様)で用いられる「花頭(火灯)窓」の形をデザインモチーフとしています。
その他のみどころ
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建物は池に沿い雁行型に配され、水と織りなす景色も見どころの一つ。水鏡に映る建物の景もまた計算された美しさです。
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こけら葺き屋根は薄く割裂いた木の板を重ねて作り上げた屋根です。特に美しく作り上げられた隅や谷の曲面部分は職人の腕の振るいどころです。
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令和の大修理の際に、失われたと思われていた大正時代の床面が玄関棟の地下から発掘されました。現在も遺構展示を行っています。(通常非公開)
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玄関棟に入った正面の景色も見どころの一つ。内苑の美しい景色が額縁に収まったような姿をご覧いただけます。
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第二屋・浪華の間。狩野探幽筆「琴棋書画図」の襖、上部には菊の透かし彫り彫刻で彩られた変わり種の欄間が収められており、和歌が書かれた色紙を見ることができます。
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第二屋・浪華の間。伝狩野永徳筆「芦雁図」の襖、上部には和歌が書かれた色紙が収められた額が桐の透かし彫り彫刻で彩られた変わり種の欄間が収まっています。
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第二屋・住之江の間の床の間には、伝狩野山楽筆「浜松図」、脇には違い棚の代わりに戸袋が設けられ、その地袋の精緻な螺鈿戸はひときわ豪華さを際立たせます。
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第二屋・池側の廊下の上部にかかる「海老虹梁」、本来は仏教建築(禅宗様)で用いられるデザインです。住之江の間と浪華の間の境の位置にあり、結界の意味を持つのかもしれません。
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第三屋・天楽の間は、欄干型にデザインされた欄間に収められた雅楽の楽器にその名が由来します。4つの楽器は取り外しが可能になっています。
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第三屋・天楽の間の外側にある手水鉢は、豊臣秀吉愛用で後年藤堂高虎が賜ったと伝わるもの。四周を飾る瓢箪がかわいらしく、由来を裏付ける天正17年の銘が刻まれています。
※臨春閣の貸出は玄関棟のみとなります。